中小企業エレキ技術者のブログ

産業用途向けカメラメーカーのエレキ技術者が綴る日常。ソフト(ScoutChcker)も作ってます!

テニス漬け

ぼくの中学時代は

軟式テニス漬けだった。

朝6時起床。

まだ暗い中

自転車で学校に行く。

広島って、若干関東より時間が遅い。

明るくなる時間が遅いんですね。

学校に行くと

校庭を何周だったかして、

練習の始まり。

うちの中学は

県下って言うより

全国大会常連校。

未だに、母校の名前で

検索するとびっくりする。

全国大会 団体1位、個人1,2位独占とかw

そんな学校のテニス部に

ひょんなことから入ったんですね。

なんとなく、ユニフォームがかっこいいとか

なんかこう、気合の入った何かを

やってみたくなったんでしょうね。

中学受験に失敗し

あ~、これからは勉強しなくてもいいんだって

ぼくの中では束縛からの開放感しかなくて

でも、何か一生懸命やること自体は

嫌いじゃなかったので

一番きつそうだけど、一番檜舞台に近そうな

テニス部を選んだ気がする。

そのテニス部には

全国でも有名な指導者が居た。

遠くからわざわざ指導を請いに来る人が

居るほどの有名人。

生徒の間では

畏怖と尊敬を込めて

やまちゃんと呼ばれていた先生。

(もう引退したとは聞いているが

 こ、ここは伏せ字が正解なのか?ドキドキw)

この先生が、まあ今の時代じゃ考えられない

スパルタの先生w

ミスをするとその生徒に

罵声を浴びせる。

部員は一斉に固まる。

く、来るのか?!

あひる歩き5周!

コートの周りをアヒル歩きと言って

スクワットしながら歩くような

現代スポーツ科学的には無いかもしれない

しかし、非常に効率的に足腰を痛めつけるw

このアヒル歩き

大体は、その生徒のみだが

たまに連帯責任に波及することもありw

我々補欠も巻き込まれてやらされたw

懐かしいw

なんだろう、今の時代では居ないであろう

こういう先生。

その頃、口では

ボロクソ言う奴も居たけど

なんだかんだ言っても

みんな慕ってた気がする。

やっぱり、決して体力的に

抜きん出てるわけでもない

普通の中学生を集めて。

(ガタイも体力もある奴は

 野球か、流行りのバレーに流れていた

 あの頃は日本のバレーが強くて人気だったw)

本当に全国大会に行ける可能性を見せてくれたのは

ひとえにやまちゃんのお陰。

(我々の世代は振るわなくて中国大会止まりだったけどねw)

ぼくも嫌いじゃなかった。

やまちゃんは勉強も重視した。

成績の悪い奴は

練習させずに勉強させるw

成績上がるまでは練習させん!

まあ、これが成り立つのは

生徒の練習して強くなりたいって気持ちが無いと

成り立たないんでw

その頃はみんな意識が高かったのかもw

ぼくも無茶苦茶練習した。

朝練夕練、帰ってからも素振りw

その頃、ぼくは

右腕が左の1.3倍くらい太かったw

片側のハサミだけでかいカニのようw

人一倍練習したから

レシーブなどは

かなり強いのが打てた。

レギュラーの前衛が嫌がるくらいに。

でもね、そこまで練習しても

レギュラーには成れなかった。

ってか、今思えば

ぼくは本当にレギュラーになりたかったのだろうか

とも思う。

先生にも言われたけど

ぼくには勝ちたいと言う気持ちが足りないと。

その頃、ペアを組んでた前衛にも

同じことを言われた気がする。

ぼくもあまりゲームのスコア気にせず

打ってたから、

ここぞって所でトリッキーに

ネット際に落とすの狙ってミスったり

今思えば、前衛には申し訳無かった。

奴はぼくと組まなきゃレギュラー獲れたかもしれない。

その頃、ぼくは

みんなで一丸となって

全国目指す

そういう雰囲気が好きでやってた気がする。

だから、補欠でも

なんだか満足してたw

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