先日、ヨーロッパのセンサーメーカーの話を
書いたのですが
これについて、あれからいろいろ考えたんです。
ぼくは所属する会社を
どうしても自分の一部として
捉える傾向がある。
まあ、これは生い立ちにも起因してますが
仕事について考える時
必ず会社はどうあるべきかから始まって、
自分はどうすべきに至る。
まあ、これが上にウケも良く
出世しやすいモノの考え方であることは
分かってやってますが。
そもそも、会社を自分の一部とする
モノの考え方は世界で見たら
かなり特殊だと思うんですよね。
「我々、織田家家臣!」って
会社の名前で胸を張る感覚は
あまり海外には無いのかなと。
実際、海外販社(この例では台湾)の人間と話をしてても
そして、その同僚が連れてくる友達と話しててても
基本的に、人対人で付き合いが成立してて
たまに、今はどこの会社に所属しているかが
話題になるくらい。
恐らく彼らの感覚は会社は乗合バス
同僚は乗り合わせた乗客くらい。
恐らく、スタートアップみたいな結束が固そうなのは
バスジャックを受けた乗合バスくらいでしょうかw
その瞬間を乗り切るために
最大限お互いが協力する。
しかし、乗り越えれば
みんな散り散りになる。
それが当然のことのように。
実際、海外の人と付き合うと
会社というモノの概念がだいぶ違うことを実感出来る。
当然、織田家家臣にも良いところもたくさんありますが
昔で考えたら
絶対潰れないだろうと思っていた会社が潰れている現在。
我々も変わらないといけないのかもしれません。
会社は絶対の存在ではないし、
そう捉え勝ちなこと自体が
そもそもの間違いなのではないかと。
栄える会社もあれば衰退する会社もある。
衰退の要因も、業種上衰退が避けられない業種も
存在しています。
中の人がどんなに優秀でどんなに頑張っても
もし、そういう状況に置かれた時
織田家家臣を信じて疑わない状態だと
どんなに優秀でも不幸な結果が待っていると思うのです。
そこは従業員であろうとも創業者であろうとも同じ。
切腹したからと言って誰も幸せにはならないのです。
ぼくが考える
海外の会社に対する感覚を予測するに
会社は波なんじゃないかと。
最初はただの平らな海面が
だんだんとせり上がり白泡が立つほど
立派な波になる。
当然小さい波も存在します。
しかし、必ず最後は全部砂浜に打ち付けられて
消えていくものじゃないかと。
昔、ばあちゃんが口癖のように言っていた言葉があるんです。
「形あるものは必ず壊れる」
主に、ぼくが高価な壺とか扇子とか
壊した時に、諦め顔で言われてた言葉ですがw
会社を創業して
そこそこうまく行った人は皆
未来永劫栄えて欲しいと思いながら
頑張ってると思うのですが。
未来永劫まで栄え続けた会社は存在しないです。
会社はやがて無くなるものとして
捉えた時、自分はどういう立ち位置で臨むべきか。
ぼくは、波乗りサーファーでいいのではないかと思うのです。
会社を興すのも転職するのも同じ
お!いい波が来た。
うまく乗れる時もあれば乗れないときもある。
でも次をまた探せばいいのです。
良い波に乗って
それをうまく乗りこなせたその一瞬の輝き
をモチベーションにして
また次を探すのです。
そうすると、前に書いた記事はありえないなあって
思ったんです。
会社を既に所有格で話す所が間違いだし
命を削る対象の所も、会社に期待し過ぎてる。
なんだか、彼らの気持ちが少し分かった気分なので
書いてみました。
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