中小企業エレキ技術者のブログ

産業用途向けカメラメーカーのエレキ技術者が綴る日常。ソフト(ScoutChcker)も作ってます!

ひとり

 

最近、核家族って単語
聞かなくなりましたよね。


昔、都会を除けばほぼ
2世帯くらいなら一緒に暮らすのが
当たり前だったころ


その対比として使われた単語なので


両親と子供の家族が
当たり前になった、今


それをわざわざ核家族と
言う人も居なくなった。

 

昔、家族ゲームというドラマがあった。
松田優作のやつですね。


そのころ、田舎の小学生?中学生?だった
ぼくは、都会ではあんな家族構成で
あんな雰囲気の家庭が普通なんだと感心していた。


そのころ、うちは
ばーちゃんも健在で
(じーちゃんはどうだったかなあ、生きてたかどうか記憶怪しい)
両親、兄弟3人
冬は従業員さんも同じ家で暮らしていた。


賑やかなのが
当たり前だったし


それが結構好きだったので
両親と兄弟だけしか居ない家庭は
ちょっと寂しいかもしれん


そう、感じていた。


しかし、


その後に、一人暮らしをやって


今や
親の立場で家庭を持って
それが立派な核家族になって思うのは


あ~、家族構成人数が
減るのは時代の流れの必然かもしれない。


そう感じている。


人は、例え血が繋がった家族でも


四六時中、顔を突き合わせていると
いろいろね、喧嘩なったりもする。


いいことと、わるいことと
両方起きるんよ。


そんで得てして
わるいことが行動の起点になる。


正確に表現すると
いいこと、わるいことが同数あったとしても
複数人で暮らすことによる制限というマイナス要素が
大きく効いてくる。


特に若いころの多感な時期に、
年寄の「こんな時間に」とかの
年寄発想による行動制限、生活制限は
一人暮らし願望を増強させる。


こりゃもう、必然。


じゃあ、年がある程度行ってからはどうか


おんなじ。


男女で暮らしたって
いいこととわるいこと同数が起きて
お互いの行動、生活に何らかの制限が掛かり


昔に比べて
ずっと自由な今の時代に


その制限が耐えられなくなる人が多くなる。


そこを超えて、子供が出来たら
いよいよ制限どころの騒ぎじゃない。


やりたいことのほとんどを諦め
全力を育児に求められる。


ぼくは
もうそういう時期を超えてしまいましたが
これはこれで、大変だったけど


楽しいこともたくさんあった。


いや、辛いことの記憶が消し飛ぶので
残った楽しい記憶だけで、モノを言っている。


この選択肢を選ばない人が多くなっても
しょうがない気がする。

 


人間は、一人で生きることを最適解とする方向に
向かってるんですよ。

 


今まで、世の中の流れを抽象的に方向付ける言葉があったじゃないすか。


「世の中は0円に向かっている」


とか


個人的に提唱している


「世の中は痛みのない世界に向かっている」


とか


そこに、


「世の中は、一人で生きる世界に向かっている」

 

これが加わるんじゃないかと思っている。

 

ありがとうございます!